菊永 英里 Eri Kikunaga

株式会社Chrysmela  代表取締役

2005年開発を開始したピアスキャッチの特許をもとに、2007年7月 株式会社Chrysmela設立。代表取締役に就任する。

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●起業に至った経緯、または起業に興味を持った経緯

16歳で独立を決意。以後10年間、銀行員である父に事業計画書を出し続け、どんなビジネスで独立をしようかと考えていました。25歳の時に図面を描いた「外れないピアスキャッチ」の特許を出願し、この製品を販売するために2007年会社を設立しました。独立を決意した理由としては、「自分の人生を自分で選択できる人間になりたい」と思ったからです。また、生きるために働くのではなく、ワクワクすることを仕事にしたいと思ったこと。そして、ビジネスモデル萌えだからです。ニッチでありながらも、国際展開も考えると市場は広く、かつ今まで、ピアスの後ろ側であまり着目されていなかったピアスキャッチを改革することの面白さを感じています。


●育った環境と起業の関わり

転勤の多い家庭で、「手に入らないものは、自分で作る」という環境で育ちました。小さいころから、「これが欲しい!」と思ったら、部屋にこもって、寝食を忘れてものづくりに没頭する子供でした。海外で育ち、幼いころに日本人としての自分を意識する環境にあったことも、世界に向けた製品を作っていきたいと思うことにつながっています。また、父に事業計画書を出して、アドバイスをもらっているときがとても楽しかったこと。父に認めてもらえる、もっといいプランはないか、もっと自分にしかできないことはないかと考えていたので、外れにくいピアスキャッチを作って、特許を出願しようと決めた時に、これをやることになっていたのだなぁと、納得してしまい、独立しない理由が見つからなかったというのもあります。

 

●メンター・ロールモデル・影響を受けた人

影響を受けた人は、たくさんいますが、一番は両親です。父は私にとって、ビジネスマンとしてプロフェッショナルな人間であり、母は主婦としてのプロフェッショナルな人間なので、それぞれがそれぞれの役割をどのように考え、実行しているのかを見ており、それを通じて、自分に与えられた役割はなんだろうと考えていたこと。その中で、私の自主性、個性を尊重し、信じてくれる環境であったこと。自主性は尊重しながらもそのために必要なアドバイスをしてくれる人たちであったことが大きく関わっていると思っています。影響を受けながらも、明確なロールモデルがいないのは、自主性を尊重された結果かもしれません。

 

●失敗談

会社を設立してから1年間、製造先が見つからず、あやうくなにもしないまま、会社を潰しそうになりました。あと1か月頑張って、ダメならあきらめようとしたところで、ようやく理想的な製造先が見つかって、今に至っています。あと、最初製品のターゲットを見誤って、かわいいウサギの載ったパンフレット、パッケージを作ったところ、周りから大反対。自分は気に入っていたので残念でしたが、皆、反対してくれてよかったなと今は思っています。

 

●メッセージ

今後さらに人の好みが多様化し、ビジネスもより両極化していくと考えています。多くの人に愛されるためのデザインと価格を維持していくビジネス。そして、限られた人にとっては、なくてはならないものを、大量生産よりはコストがかかってしまうけれども提供するビジネス。女性の経営者がまだ少ない中で、これからもっと女性たちが「自分が欲しいもの」を生み出すビジネスが生まれ、そして、認められていくのではないでしょうか。今後、どのようなビジネス、製品が生まれていくかとても楽しみです。

 

 

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